「トヨタ自動車工業株式会社 挙母工場互助会」設立

昭和20年12月15日

トヨタ自工の中から生れた「トヨタ生協」

昭和25年当時の役員(前列中央 生島組合長)

食料難でヤミ市が横行

本部喫茶

材料が入手困難な時代で、代用食(お米がなく芋や麺類)・飲物の2種類しか提供できませんでしたが、多くの方にご利用いただきました。

食糧の買い出しに苦労をした

「トヨタ家庭会」の設立

昭和22年7月22日

当時活躍された家庭会の方々(昭和30年当時)

「トヨタ家庭会」の設立

トヨタ家庭会と懇談会

「トヨタ家庭会」の設立

レクリエーション

トヨペットSA型乗用車生産開始

出資証

当時の出資金は50円で、現在の価値にすると1万円に近い金額。互助会に対する期待の大きさが伺えます。

トヨタ生協に名称変更しての総代会

昭和23年10月の生協法施行を受け、翌年の7月に現在のトヨタ生協に名称を変更し、独立採算のスタートを切りました。

職場集会に集まった組合員

朝鮮戦争による特需景気

挙母市誕生

当時の挙母駅前通り

当時の挙母駅前通り

トヨペットクラウン発売

昭和24年頃の本店玄関

当時の歳末大売り出し風景。年末は特に活気に溢れてにぎわっていました。

丸山支店

地域組合員の要望に応えて、社宅を中心に各地域に支店を開設していきました。

前山支店

当時は木造平屋で20坪に満たない建物で設備も十分ではありませんでしたが、地域組合員の生活を支え喜んでいただけました。

平山支店

 

平和荘支店